場末の三文楽士、よしけんの


日々の雑駁


団員指揮者・吉田謙治さんのコラムです
格闘技界を憂う  No.60
 先週、力道山亡き後の日本プロレス界を馬場。猪木とともに牽引した往年の名レスラー、大木金太郎(韓国名キム・イル)が亡くなられた。享年77歳。合掌。

 大木といえば何といっても“原爆頭突き”あるいは“一本足頭突き”が必殺技とされていたが、実際には多種多様ないぶし銀の技を持っていた。力道山を慕って密航、日本名を名乗って活躍。力道山の死後、日本プロレスから猪木、馬場とエース選手が脱退する中、会社崩壊まで居たのが大木だ。その間、母国韓国にもプロレス団体を立ち上げ、日本の国民栄誉賞にあたる受賞歴を持つ祖国の英雄である。
 好きなレスラーだった。その理由の一つには、実際に目の前で話をした思い出があるからだ。

 小学5年生のとき、新所沢の美原町に猪木率いる「新日本プロレス」がやってきた。現在とんかつ菊亭からKenzoなどが並ぶ一帯が当時一面原っぱで、そこでの青空興行だった。大木は日プロ崩壊後、新日本、全日本、国際と国内のプロレス団体をフリーで渡り歩いたが、壮絶な猪木との一騎打ち(後述)の後の一時期、新日本に日本人側(!)のベテラン選手として所属していた。
 所沢興行はちょうどその頃で、プロレス少年の私は、試合の始まるかなり前から客席入りしていた。普段はただの野っ原なんで、席は全てベンチか折り畳み椅子。選手の控えも簡易な囲みが張られているだけで、隙間から覗くと若手選手がベンチプレスをしていた。
 薄闇の中、試合前から興奮して会場内をうろうろしていると、自分の近くで、「うぉーっ」と声が上がる。振り向くと大男が真後ろにいて、どけどけと追っ払われた。ストロング小林の会場入りだった。プロレスラーはデカいことを実感した。
 ふと見ると、あるベンチの周りに人だかりが出来ていた。その中心にいたのが大木選手だった。既に上半身裸に黒いタイツの試合スタイルでベンチに座り、ファンにサインをしていたのだ。

 一人ずつ名前を聞き、笑顔を絶やさずサインをしていた。そして自分の番がやってきて、今思えば赤面物の失礼な質問を浴びせてしまった。
 「大木さん、誰が一番強いんですか?」
 大木は苦笑しながらも誠実に答えてくれた。
 「んん…やっぱ本気になったら猪木は強いよ」と。そして、「ぼうず! 変な質問するから疲れちゃったよ。これじゃ、この後負けちゃうよ」
 と言って、周囲を笑わせた。そのときの屈託のない笑顔が忘れられない。

 凄〜く似た状況が映像で残されてた!この女学生をガキンチョの私に置き換えていただきたい(笑)。
 →http://www.youtube.com/watch?v=1CD2t-44Wd0

 大木の試合は中盤だった。一本足頭突きも見せてくれて快勝した。正直ほっとした。
 メインには猪木が登場し、会場の興奮も頂点に達した。当時は「1、2、3」はなくて、勝った瞬間に「ダァー!」の雄叫びが上がった…。

 しかし、この直後から少なくともテレビや雑誌でみる大木金太郎にあの笑顔が見られなくなる。祖国・韓国の英雄、キム・イルとして弟子のキム・ドク(後のタイガー戸口)を従え、日本人相手に悪役に徹していくのだ。それまで自分の出生を隠していたわけはないけれど、馬場や猪木がそれぞれの団体を立ち上げ成功したのを見て、己の本来の立ち位置を明らかにしたのだろう。他者の理解を超えた苦渋の選択があったと思う。
 当時は、あの優しい大木さんが敵にまわるなんて…、子供心に背景にある複雑な事情は飲み込めず、不条理な展開をただ受け入れるしかなかった。
 参考→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E9%87%91%E5%A4%AA%E9%83%8E

 大木さんの死に接して改めて思うのは、今プロレスが本当に危機だということだ。格闘技が、と言い換えてもいい。
 馬場・猪木の時代は二人の団体が競う合う中で、件の大木や裏切り者・上田馬之助、国際プロレスの残党といった面々が互いに自己の生き様を必死に主張して、プロレス界の大河ドラマを書き連ねていった。その後の長州、前田らの世代・イデオロギー抗争もそうだ。
 こうした素地が今のリングにはない。馬場が亡くなり猪木が引退して囲いがはずれ、誰とでも戦えるようになった。何か気にいらなければ体も心構えもない半人前の新人を交えて小さなインディー団体を作ってしまう。その結果が現在のドラマのない、つまらない状況を生んでしまった。戦う必然性が感じられないのだ。
 片や、K−1やプライドでは勝負以前のギミック(演出効果)が欠かせなくなっている。やれグレイシー一族積年の恨みだの、敗戦に離婚が重なって起死回生の一戦だのって前置きである。こちらはこちらで真剣勝負だけでは成り立たず(お客が集まらず)、あえてドラマを持ち込み、当初の意向に反してプロレス化している。ともに迷走しているのだ。

 自分は、プロレスは最強であると信じている。奥が深く人間的だからだ。
 例えば自分の息子と相撲を取る。一年前に比べてどれだけ力がついたか土俵際まで押されてみる。ほほう、大分強くなったなと感じたうえでうっちゃってみせる。
 この前半の行為を八百長と呼ぶだろうか。K−1ならこんな行為はナンセンスで、力をつけた息子に親がKOされる可能性もあり得る。しかしながらとても非人間的だ。この辺がプロレスとK−1の違うところだ。決して八百長なんかじゃないのだが、K−1はこうした間合いを許さない。いわゆる秒殺といった試合は一時スリリングだが、選手生命、興行面でのマイナス要素が強く長続きしないことはUWF系団体が実証している。

 かの大木−猪木戦はまさにプロレス的な名勝負だった。猪木のデビュー戦の相手を務めたのが大木であり、その後も新人時代の猪木は大木に一度も勝てなかった。それが歳月を経てトップレスラーとなった猪木に大木が挑戦したのだ。あとは参考文献の最後のセンテンスを読んでいただきたい。
 →http://www.showapuroresu.com/waza/zutuki.htm
 こうした勝負は再び起こり得るのだろうか。格闘技関係者全ての大命題だと思う。

 この名勝負、ビデオのDVD化に伴う在庫整理で周辺レンタル店全てから姿を消してしまった。何を考えているんだ! 韓流ドラマの100倍、ドラマだぞ!
2006/11/05

No. PASS


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